帰省

帰省
えきねっとで予約したはずが、みどりの窓口に行ったら帰りの切符しか予約されていないというので、改めて行きの切符を予約したが、すでに指定席は相当埋まっており、結局東京駅を1656 に出発する便しかとれなかった。下北に着くのは大湊線で最終になる2204。
12日日曜日、搭乗前に新しい時刻表を買ったら、到着は2155になっていた。しかし、律子と石塚さんは早めに迎えに来てくれていた。石塚さんは炎天下で一日中仕事をしたのに、それでも運転して来てくれたのだ。さすがに涼しい。風がある。
13日月曜日。墓参り。律子は来ない。花立てに古い花の茎が干からびてこびりついていて、さすがにこのまま新しい花を差すわけにはいかないので軽く洗う。昔はカボチャやブドウの葉でいったんお供えしたものをその場で食べたものだし、それが墓参りにおける楽しみであったわけだが、最近はそんなことをしないらしい。「おり」(折詰弁当)をお供えしたあと、すぐに持ち帰る。なぜ? そしてお供え物は持ち帰るようにという、お寺が貼りだした紙があるにもかかわらず、そのまま置いて帰るものが多い。なぜ? 
貴子の家に行くと、進士のおばさんが来ている。若い娘がいて、名前は「ゆき」。「一番下の娘」と紹介されたが、もちろん孫。高校生らしいが、もっと年上かと思った。進士のおばさんは元気。足の手術をしたらしく、もちろん足は不自由らしいのだが。実くんが大畑に来たのは、進士のおばさんを大畑に送り迎えるためだったらしい。とは言え、帰りは一人で帰るらしいのだが・・・。下北から八戸まで直通の「きらきらみちのく」という便があると聞くと、それがいい、それに乗る、席取ってくれと言いだすが、貴子が「いつ帰るの?」と尋ねると、わからないという返事。それではとりようがない。
貴子とは傷害保険の名義変更についての相談。付加項目を加えて、月約1万円。これはきついが、母に払わせるわけにはいかない(母は月5千円で払っていた)。
ネコのミュウは険しい顔をしていて、どちらかと言えば無愛想。しょっしゅう咳き込むのは喉に毛玉が入っているからと律子は言うが、そうなのか? ときどき吐いているようだが、吐いた現場は見ていない。ミュウが吐いたところだと母が指摘したカーペットには多少シミが付いていたが、それは胃液だけなのか? 吐いたものは再び呑みこんでしまったのか? メスのココはミュウをこわがっているらしく、同じ場に出くわすと立ちすくんで、そばを通りすぎる必要があるときも駆け足だ。かわいらしい顔をしている。夜は二階を寝床にしている。ぼくが眠っていて、手をのばすと、そこへ鼻面をこすりつけてきた。早朝にニャアニャア言って起こしてきて、何だろうと思ってついていくと、仏壇の間の座布団に寝ているミュウのところに連れていった。なぜ?
14日火曜日。休んだ同僚の代りに母は11時から仕事。本門寺から、折詰弁当が届けられるが、何年か前から処分を頼まれていたらしい。それが今年は二十個も届けられて、母は整理に苦労している。前はかっちゃが一緒にやっていたのだ。見かねて手伝う。赤飯と天ぷら、果物、寒天のほかは全部、捨てるらしい。もったいないが、土に埋める。旧大畑営林署跡に移転したマエダ・ストアーは駐車場が広い。大畑もベッドタウン化の波が刻々と。昼は石塚さんの家でいただく。素麺。タレに納豆とダイコンおろしを入れるという、これまで知らなかった食べ方。結構スルスルと喉を通る。新鮮な驚き。石塚さんが友達と会いに出かけたあと、久しぶりにプレステ2でウィニングイレブンをやったが、すごいクォリティ! リアルで、そして難しい。こんなのが自室にあったら大変だ。名義変更に伴う健康診断のために、貴子の運転で田名部に。尿検査および身長、体重、胸囲、血圧。ごく簡単なもの。帰りに松木屋に寄ると、特徴的なスマートな容器に入ったコアップ・ガラナが売っていた。夜は律子の運転で大間の花火大会へ。夜の国道297号線はこわい。峠は曲折が激しいし、見通しがきかないカーブもある。なによりも一車線しかないので狭くて、スピードが遅いと後ろに行列ができてしまう。大間に行く道には、数百メートル「ゆずりあい車線」があって、そこで後続の車両を先に行かせることができ、大間から戻る際には峠で同じような車線があり、それ以外にも停車できるスペースが何箇所かあるものの、不便な路線であることにかわりはない。途中に寄ったトイレで、ライトをつけたまま外に出たら、アブともハチとも付かない虫が大量に車にたかっていた。ドアを開けると、なだれこんできて、走りながら窓を開けて追い出すことにしたものの、結局全部は追い出しきれない。フロントガラスに張りついた物はティッシュで潰し、それでも残ったものは大間に着いてから後部の窓を開けて追い払った。花火は7時半と聞いていたものの7時10分〜15分に到着したら既に始まっていた。7時からだったのか? 既に込んでいて駐車場は満杯状態。駐車場前の路上に来る前を止めて、社内から観覧。花火は連続して続き、バラエティに富んでいて楽しい。異なる趣向の花火の並行爆発。何十個もの火花がそれぞれ異なる方向へ飛んでいくもの。しだれ柳のように繊細な火花の流れ。「内破」と呼びたいような、無数の火花が内側にむいたもの。
15日水曜日。
午前中に哲男叔父さんが茂樹の息子の「のあ」(漢字忘れた)を連れて焼香に来る。ぼくが帰省していたことを知らなかったらしい。やっぱり昨日花火を見に行かないで訪ねるべきだったか。酒をやめたという母の言葉を真に受けて、それなら行っても「おもしろくないな」と思っていたことはたしかだ。母はのあにかき氷を食わせることにして、懐かしいかき氷器を出してくる。氷が大きすぎて中に入らない。哲男叔父さんが割る。トッピングはコンデンスミルクのみ。しかし、これはうまい。昔ながらの「氷水」、イチゴやメロンをかけた氷水をもう一度食ってみたい気がした。のあは正月にあったぼくをおぼえていないようだ。叔父さんはさきイカなどをわざわざ買ってきてくれた。帰省前に貴子が保険のことを説明した際、東通にウニ丼だのイクラ丼だのがうまいから行こうと言っていた店に行く。どこがどことも区別もつかない道をずいぶん奥に入っていく。気が付くと老部(おいっぺ)、白糠だ。名前は松栄。見かけはどこにでもある田舎の食堂。しかし、客がひっきりなしにやってきて、ツーリングのバイクも見える。ガイドブックに載っているのだろう。あとで石塚さんが言うには、昔は寿司屋で、地元の人が普通にやってくる店だったのが、観光客の間で有名になってくるにつれて、おごってしまった、と。値段はたしかに高い。うまいことはうまいが。貴子はウニ丼、母はウニ・イクラの二食丼、律子は生ものはダメなのでなんと山菜そば、ぼくはウニもイクラも好きではないので、必然的にアワビかホタテになる。アワビ丼にして正解。身が分厚くてこりこりして新鮮で食い応え十分だった。帰りに東通原子力発電所PR施設である「トントゥビレッジ」に寄る(貴子は「トントンビレッジ」とおぼえていた)。「トントゥ」とはフィンランドで言う小人の妖精のことを意味するらしい。東通の音読み「トーツー」からの牽強付会で、「人と自然は仲良く暮らせるんだ」ということを主張せんがために駆りだされたエコの使徒だ。つまり、この原発は今はやりの、絶対の正義である、だれもなんとなくいいと思っているエコの思想にかなっていると強引に言い張っているわけだ。3階の展望台から行かなければいけないところを、1階の原子力コーナーに行ってしまう。パネルやPR映像は面倒くさいので観なかった。世界中の「森の妖精」を紹介するコーナーは世界各国各地方の人形が飾られていて楽しかった。じっくりと観たいところだ。とってつけたような遊び場(滑り台、輪投げ、魚釣り)はそれ自体として楽しいものの、もちろん原発とは何の関係もない。展望台に行って、ごく近くに見えた白い建物が原発だとあとで気づいた。こんなに近くに?! ビックリだ。むつ市に寄って、新しくできた「むつ来さまい館」という施設に入館。下北の歴史、文化、風土を紹介し、数々の貴重な歴史的遺物を展示して、その博物館的な試み自体はすばらしいが、ここも例によって「海洋研究開発機構むつ研究所」なるものがからんでいるらしい。ああこんなものが果たして必要なんだろうか? だれも観に来ない、だれにも必要とされない、「文化的」な施設が。その七向かいにあるマサカリ・プラザはおみやげ屋で、すでにお土産は買っていたから、短時間のぞいただけだが、いさりびハウスなどよりもよっぽどおもしろい品物がありそうだ。今回は「まぐろ饅頭」とどっちにするか迷った末、「まぐろパイ」だけを購入。2時40〜45分に大畑に到着。三十分のちにはもう出発だ。窓から吹きこんで廊下を渡る風。土手の斜面に生い茂る雑草と、むかいがわに覆い被さるように立ちあがっている樹木のどよもすさま。この悦楽は東京では味わえない。律子が送り迎えに来ると思いきや、石塚さんが運転してくれる。この人は本当にまめだな。車から母に手を振る。いつもながらの悔恨。律子が毎日訪ねてくるとは言え、一人にしておくのは本当に忍びない。何という親不孝者か。八戸で新幹線に乗り換え。手ごろな価格の弁当がなくて、しょうがない、千円もする十和田湖和牛の牛めし弁当を購入。「おしながき」には、奥入瀬大自然がはぐくんだ十和田湖和牛からはじまって、八甲田ブナの源流水がはぐくんだ有機無農薬米、ゴボウ、コンニャク、リンゴ、三陸ワカメ入りの玉子豆腐である「磯豆腐」、エリンギ、シジミ佃煮、もみじ麩、りんごのシソ巻、と記されている。(途中で挫折)