大畑川、土手、青い橋、水たまり

大畑川の上大畑橋から上流に向かう土手は今はアスファルトできれいに舗装され、川の側には手すりが設けられて、ずいぶんこざっぱりとした。湯坂下側の土手を上流に歩けば、かつて高校のなかばあたりまで住んでいた借家が今は取り壊されて更地になっている。さらに上流にむかって歩けば、大間まで鉄道を通そうとして中断された名残である何本ものコンクリートの柱が見えるはずが、今はない。それに続くダムを思わせる高い土手も今はない。その先、学校山を蹂躙して開通されたバイパスが、颯爽と川を横切るあたりで、土手は昔ながらの土の道に変わる。土の道だが、夏には草の道だ。背丈を越える草が道の両側からせり出して、道の中央にも膝まである草が奥羽山脈のように連なっている。午前中に激しく降った雨は午後になってカラリと晴れ上がったが、凹凸のある土の道にはいたるところに水たまりができている。時には道幅いっぱいを占拠して、行く手を遮るぐらいに。まっすぐに飛べないならば、斜めに飛ぶ。道の端をギリギリまで詰めていって、そこからエイと跳ねるのだ。斜め前、つまり道の真ん中に向かって。これで大概の水たまりはクリアできる。小さな達成感を感じて、ちょっぴり空を、自由を感じる。ズボンに跳ねあがる泥もそのときは誇らしい。人生の最後に何をしたいと聞かれたら、水たまりを跳ねたいと答えるかも知れない。両脇を草で固められた土の道の道幅いっぱいに貯まった水たまりを、何とかギリギリのところで跳ねたいと答えるかも知れない。