「イオセリアーニに乾杯!」に乾杯!

渋谷シネ・アミューズにて。12:30の『群盗、第七章』、15:15の『歌うつぐみがおりました』、16:55の『蝶採り』の整理券を、12時頃もらいに入ったら、順番に「11」「2」「3」だった。『月曜日に乾杯!』『素敵な歌と舟は行く』が好評だったために企画された特集だと思うが、意外に客が少なくて拍子抜け。ちなみにこの二作、見逃した。以前、三百人劇場ロシア映画特集で上映された『田園詩』が、はじめて見たイオセリアーニ作品だったが、なにかが起こりそうになりながら結局なにも起こらないで、なのに妙にひっかかり、これがもしモノクロでなくカラーだったら最高に楽しめたのじゃないか、と思っていた。
『群盗、第七章』。おもしろい。説明がまったくないので、ちょっとわかりにくいけれど。同じ俳優が違う時代の時代の登場人物を演じわけているが、そこがもっとハッキリわかればよかったか? 中世のグルジアで王と王妃だった二人が、パリの街角でホームレスと武器商人の妻として再会するが、ホームレスの男は王として、かつて王妃だった女に話しかければおもしろかったのに。グルジアのどこにでもいるおっちゃんたちによって何度も奏される多声合唱がなんとも不思議な響きで味わい深く、CDを一枚手に入れたくなった。
『歌うつぐみがおりました』。すごいおもしろい。オペラの終幕間際にオーケストラに加わりティンパニをたたいて辻褄を合わせてしまう、主人公の調子よさにしびれる。全編が目まぐるしくおもしろく展開し、イオセリアーニの演出の手際よさが光る。だれからも好かれる人気者に悲哀の影が走るのは、毎日が目まぐるしく過ぎるのに、結局なにも実のあることをしていないというむなしさを感じるせいか? 
『蝶採り』。最後まで飽きさせないけれど、なにか身も蓋もないというか。「シンプルでいて優雅な生活を楽しむ老婦人たちの姿は、本当の豊かさとはなにかを教えてくれるはず」などとチラシには書いてあるが、とんでもない。これはそんな「ちょっといい話」ではないし、むしろ暗澹たる気持ちにさせられる。救われる人がいない。製作年は1992年だが、ここに登場する日本人は、集団行動するビジネスマンと、なぜか全員振袖姿の女性観光客の二種類だ。いかにも古めかしいイメージだし、当時すでにパリに住んで長い監督にこの程度の認識しかなかったとは考えにくい。意図的な誇張、それも悪意ある誇張か。どうせ日本人はこの映画を見ないだろうと高をくくってのこととは考えにくい。日本人に買い取られた古城の門には身も蓋もない「財」という漢字が刻まれ、監督の怒りを表している。だからといって、こんな侮蔑的な誇張をしていいわけでもないが。(それにしても、城の壁に吊り下げられた垂れ幕のカタカナ、「オター」「マニュ」「ウィリー」というのはどういう意味か? あっ! 今パンフレット見て気がついた。監督:「オター」ル・イオセリアーニ、撮影:「ウィリ」アム・ルプシャンスキー、美術:エ「マニュ」エル・ショヴィニ・・・・そういうこと?)