本日発売のテレビブロス

川勝正幸氏のコラム「Too Old to ROCK'N'ROLL Too Young to Die」の冒頭に、ジェイムス・テイラーという人が自身のアルバム『ワン・マン・バンド』('70)に寄せたという文章の一節が紹介されていた。「不思議なのは、現代のポピュラー・ソングというものが、初演と同時にレコーディングされるという事実である。(略)歌にしてもアレンジにしても、時と共に成長し、観客を前にしたライブで20回ほど演奏した頃、ようやくかんせいするものだ」
これを読んで思いだしたのはフェラ・クティのことだ。フェラは自身のライブハウスで何度も演奏を繰り返し、十分に熟した時点でやっと録音する。そして以後、二度と演奏しないというのだ。曲が完成した時点で録音するというのは普通にわかる。わからないのは、それを二度と演奏しないということだ。ヒットした曲、客が聞きたいと望む曲を演奏するといった、一般の音楽家とはなにかが決定的に違った態度だ。フェラについて書かれた書籍『フェラ・クティ―戦うアフロ・ビートの伝説』『武器なき祈り―フェラ・クティ、アフロ・ビートという名の闘い』をはじめ、フェラについて書かれたいくつかの文章を読んでも、それについての回答は記されていなかったような気がする。思うに、フェラにとって自身の曲はそのときどきの時事や私事を綴ったジャーナリズムみたいなもので、旬がすぎたらもうどうでもよくなるんじゃないだろうか。録音という形で過去に封じこめて、その曲はおしまいにすると。