シェイハ・リミッティ来日公演

草月ホール。18時開演、17時半開場のところを、17時20分に会場に着いたら、すでに場内は長蛇の列。こんなに大人気とは思わなかった。チケットぴあはたしかに売切れと言われたが、アリオンでは難なく入手できた。リミッティのCDは1994年に国内盤が出たきりだし、それほど知名度があるはずもないので、どこかのメディアで大々的に宣伝したのだろう。

ライブの感想はと言えば、あらゆる面で想像をはるかに超えていた。
強靱な喉に驚いた。喉から出ているというよりも、そのもっと奥から出ているようであるし、こちらも耳で聴いているのではなくて、喉の奥で聴いているような感じだ。喉の奥を起点にして全身が揺さぶられる感じ。この八十一歳の老婆の声は、しかもライブが進むにつれて衰えるどころか、より強靱になっていく。美声ではなく、心を慰撫するものでもない。呪いのような、むしろ禍々しいと言っていいものだ。けれどけっして不快ではなく、感じるのはその圧倒的なパワーだ。生命力だ。「伝統スタイル」の前半を終えた休憩時間、ロビーの売店(エル・スール?)に山積みにされていたリミッティのCDは、二十分の休憩が終わる頃には完売になっていた。
ノリの良さに驚いた。ハレドのライブは横浜のWOMADで何分か経験したことがあり(多会場で催されている照屋林助のライブの方を選んだのだ)、ハレドフォーデル、タハによるライブCDも聴いて、ライがダンス・ミュージックであることはわかっていたはずが、「リミッティのライ」がかくまでにノリがいいとは思っみなかった。私が持っているCD、エレクトロニックにいじり倒した『シディ・マンスール』、オリジナルスタイルの録音BLUE SILVER盤を聴くかぎり、そういった印象はなかったのだ。しかし、今日のリミッティは見ているこちらがハラハラするのも構わずに自らが踊りながら、煽る煽る。曲もダンス・ミュージックを明確に意識したアレンジだった。
エンターティナーぶりに驚いた。気難しそうなイメージがあったが、まるで逆。愛嬌があり、実にお茶目。日本語で「ありがとう」と言い、ステップを踏み、投げキスをし、客を楽しませようと余念が無かった。本人も心から楽しんでいる様子が見て取れた。
エレクトロニクス・サウンドと完全に融合しているさまに驚いた。『シディ・マンスール』はリミッティの意思に関係ない、制作側の一方的なプロダクションといった印象だったが、今日のリミッティはエレキギター、ベース、ドラムス、キーボードの織りなすバックサウンドに軽やかに乗り、楽々と歩んでいた。2000年発売のバンド・スタイルのCD『nouar』を会場で入手して、今聴いているが、これも『シディ・マンスール』に比べるとはるかになじんでいる。ガスバ、ゲラールだけが伴奏のオリジナル・スタイルも味わいはあったが、もともとキャッチーなメロディーのない音楽だから、シンプルな伴奏で聴くとどうしても飽きが来やすい。『nouar』の延長線上にある本日のアレンジが、もっとも聴きやすく、楽しめるか。

唯一惜しまれるのは、会場がかしこまった雰囲気だったということだ。WOMADのような野外か、あるいはライブハウスでやったら、その盛り上がりはもう狂気じみたものになったことだろう。

八時終演の予定が三十分以上超過し、ライブを終えて引っ込んだリミッティに、会場からアンコールの拍手が鳴りやまない。関係者が、リミッティが張り切りすぎてぶっ倒れてしまい、もう出てくることができないと告げて、残念、本日は終了。

八十一歳にしてカクシャクとした姿を見せたリミッティ。九十一歳になってもなおカクシャクとしていたら、また来日してほしいものだ。