大畑川の上大畑橋から

大畑川の上大畑橋から上流にむかう土手は今はアスファルトで舗装され、川の側には手すりが張られて、ずいぶんこざっぱりした印象になった。湯坂下側の土手を上流に歩いていけば、かつて高校の中ごろまで住んでいた家が今は取り壊されて更地になっている。さらに上流にむかって歩けば、大間まで鉄道を通そうとして中断されたその跡の、川を横切る石の橋げたと、それに続く高めの土手が、残念ながら今はない。その先で、上流から川沿いに下ってきたバイパスに右手で通ずるあたりで、土手自体は昔ながらの土の道に変わる。土の道ではあるが、夏は草の道とでも呼びたいものになる。背丈を越える草が両側から道にせり出している。道路の真ん中にも膝まである草が山脈のようにつらなっている。午前中に激しく降った雨は午後になって驚くほどカラリと晴れ上がったが、凹凸のある土の道にはいたるところに水たまりができている。ときには道幅いっぱいに。水たまりと草むらがせめぎ合うギリギリの端まで片足を詰めていって、そこで踏ん張って前方に跳ぶ。斜めにかしいだ不安定な態勢で、それでもなんとか跳べるのは子供の頃の反射神経がいまだに残っているせいか。ジーンズの端にあるいは泥がかかったかも知れないが、そんなことは気にしない。そんなことをいちいち気にしていたら先に進めなくなる(帰宅してのち確認したら実にきれいなものだったが)。それにしても水たまりを跳ねることのなんと楽しいことか! 土手は大畑川を斜めに横切ってきたバイパスに突き当たり、橋には「朝日奈橋」という聞きなれない名前が記されている。バイパスを越えると、そこから先は、往来の極端に少ない昔ながらの変わらぬ土手だ。チロと毎日散歩にやってきた馴染み深いホームグラウンドだ。草むらは両側からさらに深く道に覆いかぶさり、水たまりはさらに広がり、進行を大いに妨げる。やがて見えるはこれも懐かしい「青い橋」こと松の木橋。とは言え、「青い橋」という通称はまさに今は昔のことだ。色落ち、赤さび、表面が剥がれ、間違っても「青い橋」という呼称を呼び覚まさないものと成り果てている。しかし、ここに侘びしさは皆無だ。周辺のロケーションがすばらしすぎるからだ。空は青く晴れ渡っている。刷毛でひいたような雲は時に白く、時に灰色がかっている。日差しは強いが湿度は低く、暑苦しさは感じない。緑の山が遠くを囲み、木立と休耕地、畦道、草むら、黄色と紫の小さな花があたりを満たしている。色彩はけばけばしくないがクッキリと鮮やかだ。青い橋を越えると、草むらはいっそう厚くなるが、そこから先は残念ながらなじみの薄い領域になる。かつては土手から下る坂道があり、清流が石を洗う川岸まで降りていけたものだが今はない。そこがチロとの散歩の目的地、終着点、折り返し地点であったのだが、見ることはできなかった。あの清流が失われ、泥流に変わったことに今さらながら気づいて、そこだけが寂しかった。