板垣真理子『武器なき祈り』(三五館)

昨年初頭に購入した本を読了。すぐに読まなかったのはやはり冒頭、筆者である板垣真理子氏の夢に登場したフェラ・クティにとまどったからだ。筆者には、フェラ・クティと真っ先に接触し、だれよりもフェラのことを理解しているという自負があったのだろう。板垣氏に遅れてフェラと接し、ミュージック・マガジン誌に写真と文章を掲載している諸氏と自分は違うのだと。夢にフェラが出てきたのは事実かもしれない(このような書き方をしていなかったら、素直に事実だと信じられたろう)。かと言って、フェラの一人称で、東洋の女性に降り立ったことを語らせるのはフェアではない。そのデメリットは、この本全体を「うさんくさい」と思わせて、まともに受けとめる気を失わせてしまうことにある。フェラの一人称でない部分(およびフェラの妻たちの)は、ナイジェリアの文化・風土・歴史・人々の意識の興味深いレポートになっている。もちろん、そこでも、ナイジェリアに対してなんの思い入れもない人たちに、その魅力やアメリカの文化に果たした役割を納得させるだけの説得力に欠ける。残念。もったいない。書き手として成熟していないと思われても仕方がない。