マルク・デュガン(中平信也訳)「FBIフーバー長官の呪い」(文春文庫)

マルク・デュガンという人は、著者紹介にもある通り「小説家」だ。「ノンフィクション・ライター」ではない。本書は4作目と書いてある。なんの4作目? 自著としての4作目? 小説としての4作目? 本書が「プロローグ」にあるように、FBIのナンバー・ツーであった人物の実在する回顧録であったなら、著者名として「マルク・デュガン」という名前がクレジットされるわけがない。その事実だけで既にこの本がフィクションであることは明らかだが、「プロローグ」においてはこれがノンフィクションである可能性を示唆しているようにも見える。しかし、売り主にこれが本物であるという保証はないというセリフを語らせて、逃げ道を用意している。「わたしはこれが本物だと主張しているわけではないですよ」と。訳者の中平信也氏は、これがフィクションであることを明言してはいないにしても、「あとがき」の節々にそう考えていることがうかがわれる。「本書は、一九二四年から七二年まで米国の連邦警察のトップであったジョン・エドガー・フーバーを題材としたものである」「本書でJFKは、女性を病的に必要とするが一人の女性も愛することができない男として描かれている」「〜と、本書はしている」「本書は、このような理想と現実の相克を一貫して描いている」「本書の作者も、類書はすべて読み、それに加えて新たに公表されたFBIの資料を読んだとしている。本書は事実に基づき書かれたと言って差し障りないだろう」。あたかもノンフィクションであるかのような体裁で出版されたのは営業対策か? 品のないスキャンダラスな邦題にしてもそうだし。読んでいるあいだじゅう、あまりにもおもしろすぎると感じ、そこに不自然さは感じた。迂闊にもノンフィクションと思いながら読んでいた私は「訳者あとがき」を読んで、ようやくこれがフィクション、正確に言うならば「事実に基づいたフィクション」であることに気づいた次第。しかし、しかし、フィクションであることとノンフィクションであることのおもしろさは違うものだから、そこを混同させるのは悪質だ。著者がではなく、そう思いこませる出版形式を取った文芸春秋社が。いやいや、プロローグでこの本がフィクションであることに気づかなかった私がバカなのか?