日出処の天子

山形浩生の『新教養主義宣言』文庫版を読んでいたらこの作品のことをえらく褒めている文章にぶつかり、そう言えば最後までキッチリ読んでいなかったような気がして中古の文庫本を購入して通読したのだが、冒頭の刀自古のかわいらしい走り、池から這い上がった少女の妖しい眼差し、謎めいた笑みで視点人物たる毛人を迎える少年からはじまる、ほとんどの場面をおぼえていた。ことごとく見覚えがあったので通読したことは間違いない。かつてはどんな感想を抱いていたかはおぼえていない。これがすさまじい緊張をはらんだスリリングな物語であるという認識は当時も持っていたに違いないが、この作品を愛読書としてとらえていなかったからには、なんらかの納得しがたい部分があったのだろう。今回読んで感じたのは、厩戸王子があまりにも自分個人のマイナスな感情に駆られた行動を取ることの不毛さだ。(毛人の愛を独占したいがために布都姫を殺そうとしたことなど)高度に政治的な判断のできる知力を有しているにもかかわらず、結局なにが目的なのかわからない。「わたしはこの国を自分の思い通りに動かしてみせる。別に志あってのことではない・・・何かしていないと生きている気がしないから」ーこの、何もかもを投げ出したようなニヒリズムが感情移入を阻んでいる。異界を垣間見る能力を有しながら、出会うのは魑魅魍魎や恨みをはらんだ死霊ばかりで、それは厩戸王子の心象を反映しているのだろう。可能性の大きさに対して、厩戸王子が実現するものはあまりにもみみっちすぎるのだ。ああ女々しい。