M捨てのぱふゅーむ

ミュージックステーションを見るのはおそらく、ダウンタウンごっつええ感じ』メンバーによる「エキセントリック少年ボーイ」以来のことだ。以前からおもしろいと思ったことはなかったが、改めてそのつまらなさに愕然とした。一体どういう層にむけて作っている番組なのか。それぞれの歌手なりバンドなりのファンにむけたもの? それにしても、各人の割り当て時間はクソみたいに少なく、ほとんど流れ作業。生でやる意味がどれだけあるかもわからない。
Perfumeは驚いたことに生歌。しかし、それがきついことはほんの数秒でわかってしまい、見ているこっちがいたたまれなくなる。ダンスだけは見たかったので、音だけを消して一応最後まで見た。やっぱり生歌は無理があるのじゃなかろうか。生で歌いたいという欲求が特にあ〜ちゃんあたりには強いのだろうが、それが厳しいであろうことは、たとえばメジャーデビュー当時のイベントで実証済みではなかったか? 「リニアモーターガール」を踊りながら歌うのっちがしまいには歌えなくなって、苦笑してしまう映像をニコニコ動画Youtubeで見たことがあるが、今回は笑いださなかっただけましか(イヤ、笑ったほうがおもしろかったかも)。Perfumeの曲は一所懸命に情感たっぷりに歌って魅力が出るわけではないのだから、生歌でやる必要は全くない。ほかの出演者たちの、いかにもオレは歌ってるぜ、アタシは歌ってるわといった押しつけがましい歌の中にあってはやはり異質だ。
では、どうすればいいか? 1)開き直って口パクで通すと覚悟を決める。→それだと、出演できない番組も出てくるだろうが、だったらそんな古めかしい生歌幻想の番組になどは出なくていい(「紅白」に出れなくても泣くな、と)。2)方向転換して生歌で歌うことにする。→a)曲想を変える。生で歌える曲を中田ヤスタカに依頼する。それができなければプロデューサーを変える(論外だなあ)。b)歌うことに集中できるよう振りつけを簡略化する。もしくは口パクのヴァージョンと生歌の簡略ヴァージョンと、二種類の振りつけを用意して、そのときどきで適宜選択する。
「たま」石川浩司はある音楽番組に出演したとき、「本当に演奏するんですか?」と番組スタッフに聞かれて、逆に驚いたことを自著で書いている。同じ番組に出演したほかのロックバンドたちは実際には演奏していなかったらしい。音楽の実力で売っている人たちがそれをやるのはダメだろうと石川浩司は批判しているが、激しく踊りながら歌うアイドルなどは口パクでも構わないだろうと理解を示していた。「イメージ」「夢」を売るのがアイドルだからと。実際には演奏していない歌っていない「アーティスト」が幅をきかせてるのだから、むしろ「わたしたちは口パクで行きます!」と公言しちゃったほうがよっぽどカッコイイと思うんだがなあ。