アレクサンドル・ソクーロフ『ドルチェー優しく』(1999)

ソクーロフによる島尾夫妻に関するナレーションに続いて、島尾ミホのモノローグがソクーロフの同時通訳を伴いながら進行する。島尾ミホによるモノローグがいささか生硬な感じがしたのは、あらかじめ書き上げられた台本を読みあげているからだろうと推測。もちろん、その台本は島尾ミホ自身の証言に基づいているには違いないが、それはやはり生の語りとは違うと感じる。それでも、母親が亡くなった直後の父親、娘に神戸に行くよう刀を出して(自らの命と引き替えに)説得する父親の様子を語るさまは迫真的で、これが即興でとらえたドキュメンタリーなのか、緊密な脚本に忠実に作られた(いわば)セミ・ドキュメンタリーなのか、どうでもよくなる。この鬼気迫る場面では明らかに島尾ミホは女優として生身の島尾ミホを存分に描ききっている。「これからの人生にも憧れや喜びがきっとあるわ」という生硬なセリフが結語だが、ソクーロフお得意の魂の通った自然描写ー島尾ミホを背景としてガラス窓で雨滴の踊るさまに明るさ、華やぎ、希望がこめられて見える。