本日発売のテレビブロス

川勝正幸氏のコラム「Too Old to ROCK'N'ROLL Too Young to Die」の冒頭に、ジェイムス・テイラーという人が自身のアルバム『ワン・マン・バンド』('70)に寄せたという文章の一節が紹介されていた。「不思議なのは、現代のポピュラー・ソングというものが、初演と同時にレコーディングされるという事実である。(略)歌にしてもアレンジにしても、時と共に成長し、観客を前にしたライブで20回ほど演奏した頃、ようやくかんせいするものだ」
これを読んで思いだしたのはフェラ・クティのことだ。フェラは自身のライブハウスで何度も演奏を繰り返し、十分に熟した時点でやっと録音する。そして以後、二度と演奏しないというのだ。曲が完成した時点で録音するというのは普通にわかる。わからないのは、それを二度と演奏しないということだ。ヒットした曲、客が聞きたいと望む曲を演奏するといった、一般の音楽家とはなにかが決定的に違った態度だ。フェラについて書かれた書籍『フェラ・クティ―戦うアフロ・ビートの伝説』『武器なき祈り―フェラ・クティ、アフロ・ビートという名の闘い』をはじめ、フェラについて書かれたいくつかの文章を読んでも、それについての回答は記されていなかったような気がする。思うに、フェラにとって自身の曲はそのときどきの時事や私事を綴ったジャーナリズムみたいなもので、旬がすぎたらもうどうでもよくなるんじゃないだろうか。録音という形で過去に封じこめて、その曲はおしまいにすると。

ジャスミン・デラル『ジプシー・キャラバン」(2006年/アメリカ)atシネ・アミューズ

スペイン、ルーマニアマケドニア、インドの四ヶ国五バンドの六週間にわたるアメリカ・ツアーを追ったドキュメンタリー。元気だった頃のタラフのニコラエ爺さんを見ることができたのはうれしかった。マケドニアエスマは以前のCDで見たときよりも一層ふくよかになっていたが、みどころは若い頃のスリムな体で歌い踊る貴重な映像が見れたことだ。これだけ大人数だとスポットが当たり具合に不均衡が生じるのはしょうがない。エスマのど迫力なボーカル、インド人たちのひょうきんさ、フラメンコの様式美といったところはよくとらえていたが、タラフやファンファーレ・チォカリーア(「ファンファーラ・チョクルリーア」と表記。こっちの発音のほうが近いのか?)のパフォーマンスのすごさはまるで伝わらなかった。しかし楽しい。本当に楽しんで音楽をやっている。

アクレサンドル・ソクーロフ『モスクワ・エレジー』(1986・1987年/ソビエト)atユーロスペース

タルコフスキーについてのドキュメンタリー。こっくりこっくりしながら見たので、内容はよく覚えていない。タルコフスキーが生涯の各場面で実際に住んでいた家を訪問したところを除いてはほとんど既存のフィルムを使っているので、映像的なおもしろさはない。既存のフィルムもそのまま使っているのではなく、わざと古めかしく見えるような処理を施しているのでは? 若きタルコフスキーが生意気な青年を演じた場面を見れたのは得した気分。とは言え、このドキュメンタリーを見て、タルコフスキーに興味を持つことはないんじゃなかろうか。

アクレサンドル・ソクーロフ『痛ましき無関心』(1983年/ソビエト)atユーロスペース

バーナード・ショーの戯曲「傷心の家」は以前に読んだことがあるが、すっかり内容を忘れてしまった。とは言え、この映画が原作からかけ離れているということだけはわかる。こっくりこっくりしながら見たので、内容はよく覚えていない。奇矯なドラマという意味ではおもしろいと思うが、人間関係が最後まで把握できなかったのでおもしろさも半減。まあ、また上映したときは見ますが。

M捨てのぱふゅーむ

ミュージックステーションを見るのはおそらく、ダウンタウンごっつええ感じ』メンバーによる「エキセントリック少年ボーイ」以来のことだ。以前からおもしろいと思ったことはなかったが、改めてそのつまらなさに愕然とした。一体どういう層にむけて作っている番組なのか。それぞれの歌手なりバンドなりのファンにむけたもの? それにしても、各人の割り当て時間はクソみたいに少なく、ほとんど流れ作業。生でやる意味がどれだけあるかもわからない。
Perfumeは驚いたことに生歌。しかし、それがきついことはほんの数秒でわかってしまい、見ているこっちがいたたまれなくなる。ダンスだけは見たかったので、音だけを消して一応最後まで見た。やっぱり生歌は無理があるのじゃなかろうか。生で歌いたいという欲求が特にあ〜ちゃんあたりには強いのだろうが、それが厳しいであろうことは、たとえばメジャーデビュー当時のイベントで実証済みではなかったか? 「リニアモーターガール」を踊りながら歌うのっちがしまいには歌えなくなって、苦笑してしまう映像をニコニコ動画Youtubeで見たことがあるが、今回は笑いださなかっただけましか(イヤ、笑ったほうがおもしろかったかも)。Perfumeの曲は一所懸命に情感たっぷりに歌って魅力が出るわけではないのだから、生歌でやる必要は全くない。ほかの出演者たちの、いかにもオレは歌ってるぜ、アタシは歌ってるわといった押しつけがましい歌の中にあってはやはり異質だ。
では、どうすればいいか? 1)開き直って口パクで通すと覚悟を決める。→それだと、出演できない番組も出てくるだろうが、だったらそんな古めかしい生歌幻想の番組になどは出なくていい(「紅白」に出れなくても泣くな、と)。2)方向転換して生歌で歌うことにする。→a)曲想を変える。生で歌える曲を中田ヤスタカに依頼する。それができなければプロデューサーを変える(論外だなあ)。b)歌うことに集中できるよう振りつけを簡略化する。もしくは口パクのヴァージョンと生歌の簡略ヴァージョンと、二種類の振りつけを用意して、そのときどきで適宜選択する。
「たま」石川浩司はある音楽番組に出演したとき、「本当に演奏するんですか?」と番組スタッフに聞かれて、逆に驚いたことを自著で書いている。同じ番組に出演したほかのロックバンドたちは実際には演奏していなかったらしい。音楽の実力で売っている人たちがそれをやるのはダメだろうと石川浩司は批判しているが、激しく踊りながら歌うアイドルなどは口パクでも構わないだろうと理解を示していた。「イメージ」「夢」を売るのがアイドルだからと。実際には演奏していない歌っていない「アーティスト」が幅をきかせてるのだから、むしろ「わたしたちは口パクで行きます!」と公言しちゃったほうがよっぽどカッコイイと思うんだがなあ。

石川浩司『「たま」という船に乗っていた』(ぴあ)

図書館の開架棚にあって文字組がゆったりとして割とすぐに読めそうだったので椅子に腰かけて読みはじめたら面白くて面白くて一時間半で読了した。石川浩司はやっぱりパフォーマンスだけでなく一人物としてすばらしい。汗を掻くから初めからランニング。髪をセットするのが面倒だがスキンヘッドにしてなんらかの自己主張していると思われるのがイヤだから丸刈り。音楽をやって食っていければそれでいいから無理はしないし、売れることにもこだわらない(これは他のメンバーも同様だったらしいが)。明快だ。男の理想だ。ただ、この本で残念だったのは、メンバー個々のキャラクターを物語るようなエピソードの類が乏しいことと、「たま」の音楽性がさして掘りさげられていないことだ。それぞれが好きな音楽、影響を受けたミュージシャン、筆者が使う楽器の由来などは書かれているが、それがどうしてあんな独特な音楽となって結実するかがよくわからない。シュールでチープ、懐かしくかつ不穏きわまりなく、まさに日本オリジナルと言える希な音楽。一通り聞き返してみるか。パスカルズやソロのライブも観たい。この本も手にいれよう(一冊手元に置いておきたい)。
と思ったら絶版か。

アニメ『電脳コイル』(監督・脚本:磯光雄/NHK教育TV)

Perfumeの記事を読むためにblog「小心者の杖日記」をときどきのぞいていたが、そのなかで熱烈にプッシュされていたので気になっていた。見てみたい、と思っていたら、教育TVで再放送がはじまったが、そうと気づいてスイッチを押したら既に初回の半分が過ぎていて、背景がうまく飲みこめなかった。翌週二回目を見て、「これは最初からきちんと見なきゃダメだ」と思い直し、レンタル店でDVDを借りた。三巻までで八話(発売されたばかりの四巻は貸し出し中だった)。冒頭から見始めて、最初から背景がそれほど緻密に説明されているわけではないことがわかった。序盤でずっと腑に落ちなかったのは、いわゆる「電脳体」がメガネの操作者の肉体と完全に合致していることだ。ヴァーチャルな空間に作りだす肉体だから、原理的にはいくらでも改変が可能なわけで、それこそ(なぜか今さらながら話題沸騰中の)ジョジョ・シリーズの「スタンド」のように、特殊な能力や独特なパーツを有した電脳体も夢じゃない。ただ、そうすると物語世界が大幅に変わってしまうことになるわけで、電脳のヴァーチャル世界に、今となっては懐かしい、すでに失われた子どもたちの世界を復活させるという意図は見事に実っている。すばらしいの一言。続きはまだ見れないのか、教育テレビの放送を一話一話追って行かなきゃいけないのか(うちのテレビはNHKの映りが悪く、普段は見ないのだが)、DVDが発売されるのを順次待たなきゃいけないのか(発売がまたノロノロ進行だ)、と思っていたところ、某動画サイトになんと全話がアップされていた! 画像小さいし、画質が悪いし、と及び腰だったが、「途中までちょっと見てみようか」とクリックしたら、もうやめられない。帰省前夜だというので連続再生して、九話から二十話まで見たところで夜の一時を回っていた。明朝は早いし、こんな小さい画面でクライマックス、フィナーレを見たくないと思ったので、そこでやめた。削除されるのは時間の問題だったし、それはそれでしょうがない、テレビなりDVDなり、「正式」な形で見ようと思っていた。実家のPCはブロードバンド環境になく、動画を見ることが不可能だった。東京に戻って件のサイトをのぞいたら、案の定削除されていて、覚悟はしていたものの渇望感が意外に大きくて驚いた。まさかあるわけないよなあ、と思いながら、別の某動画サイトをのぞいたら、なんと、そこにありましたよ! 各話が分割されていて、続きを見つけるのに手間取りはしたが、ついに全話見ることができた。傑作。これほど充実したアニメーションを見たのはエヴァンゲリオン以来だ(といっても、ほかになにかアニメを見たことがあるわけじゃないが)。ややリアリティに欠ける何人かのキャラクター設定や生硬なセリフ回しは今でも「惜しい」と思うが、全体としては文句なし。足早に見たのでまだ頭の中で整理ができていないので、また見よう。テレビでもDVDでも。ああ、おもしろかった!!!